◇No.40
------------------
記憶が鮮明なうちに書き残しておこう。約4年ぶりに、愛知県で歌って来ました。起爆剤は以前ここに書いたので繰り返しになりますが、ずっとずっと会いたかった、中学高校時代の剣道部の先輩から、秋祭りで歌わないかっていうメールをもらったから。先輩は静大、私は三重大で離れ離れになっても、しばらく手紙を送りながら、会いたいなあ、どうしてるかなぁ、って思っていた。私が大学でまた剣道部に入った事を先輩は驚いてたし、先輩が性別上は女だけど野球部に男に混ざって一人入った事に私も驚いた。社会人になってから、年賀状はしばらくあったけれど、私自身が段々誰にも年賀状を書かなくなり、手紙からメールへと、連絡の手段も変わり、関東へ引っ越し、連絡が途絶えてしまった。それでも先輩はずっと心のどこかに居て、事業をされている事とその住所はHPから知っていたので、そこへまた手紙を送ってみようかな…って思っていた矢先、私のYouTubeを見ましたとメールを頂いたのだ。
もし会えたなら、その瞬間地球が無くなっても構わないって思った。凡そ1ヶ月ちょっと、それまでに痩せてちょっとは綺麗になっておこうとか思ってたのに、まるっきり痩せられないまま、あっという間にその週末はやって来た。先輩にマフラーを買いたかったのだけど、まだあの時は夏の終わりの気候だったから、街をまわっても売っていなかった。マフラーみたいなタオルを見つけたので、先輩の苗字を刺繍してもらった。スーツケースに色々詰め込んで…

愛知1日目。
知多市のリマでライブするのは約10年ぶりだった。マスターは相変わらず優しくて、昔よりだいぶ日焼けしていた。
書き残したい事は、トモローさんやっとさんゼペさんという音楽的にも人間的にも好きな人達が来てくれた事と、終わった後に中華へ行った事。やっとさんがステージから出番の最中にトイレへ消えた話とか、爆笑させて頂きました。トモローさんのYouTubeの動画は、特に残業で心身ともに疲れきって帰った後などに見ては助けられていたので、会えてすごく嬉しかった。トモローさんほんとに大好き。きっと何歳になっても、一緒にライブをやりたいなぁと思う数少ない人です。銀恋を歌ったのって何年前だろう。そういえば悪友…あ、もとい親友やっとさんネタは翌々日一緒にランチビールをした妹のまっきーからまた一つ、思いがけず凄い爆笑ネタを入手してしまいました。。ちょっと凄過ぎて書ける様な内容じゃありませんが…笑。


愛知2日目。
前日から朝になってもどしゃぶりの雨が降っていたので、中止かな…だとしてもお土産だけでも渡したいなぁ…忙しいだろうか…なんて思っていた。ところが昼下がり、まるで天と地がひっくり返る様にして晴れ間が広がった。会場へ着いたらすぐに見つかった。変わってない!って思った。20年近くぶり…高野先輩だ!でも準備で忙しそうだったので声をかけていいのか分からなくて戸惑っていた。スタッフに一生懸命指示をして主体的に動いている姿を見て、あぁって思って、その声を聴いてまた、あぁって思った。毎日その声を聴いていたのは凡そ23,24年前。ずっと憧れていたそのまんまの姿で、聞いていた声もそのまんまだ〜…と。控え室に荷物を置いた後、準備のお手伝いを始めた。ところが。
ザショック!!! 服を裏表に着てたよ!!  先輩に言ったらちょっとだけ笑ってもらえて、嬉しかった(喜んでる場合じゃありませんよ、お恥ずかしい)。お手洗いで着直して、改めて準備のお手伝い。音響チェックをしているうちにオープニングの時間になっていた。ステージで鍵盤のチェックをする先輩に『もう3時ですよ!』って声をかけたら、そっか…っていう表情をされたので、心配したら案の定やっぱり最初の先輩の演奏が無くなった。やっぱりこれが心残り。また聴けます様に…。
ダンスやマジックや演歌や太鼓など他の出演者のパフォーマンスが進行される中、水風船を沢山作った。最初はうまく作れなくて何個か失敗したけれど、作っているうちにコツを掴んで来て、面白くなってきました!水風船の作り方めっちゃうまくなったよ。水風船作りのプロになれそう、笑。休憩しようと歩いていたら、盆踊りが始まって、突然『炭坑節って知っとるぅ?』とか言われながら先輩に背中をボンと押されてみんなの前で盆踊りをする人達に加わるはめに…笑。♪月が〜出たでった、月が〜あ出た〜ヨイヨイ、とか踊りながら先輩に向かってずるいー!ってジェスチャーで口を膨らましてみたけど、中学校の剣道の辛い打ち込み練習の時によくあんな風に後ろから背中を押してもらったな…なんて思い出したりもした。ビンゴの紙を先輩と会場の反対側の両端からそれぞれ配り歩いた。日が暮れて、私の番が来てステージへあがったら、司会の方が事前に送っていた紹介文を読んでくださった。途中私が送ったままであれば『風来坊なので時折アジアを旅しては次の住みかを探します』っていう文があったはずなんだけど、時折海外を旅して見識を深めようとしていますとか全然違う文章になっていて『…?あれっ、何か違う!』って言ったら『ごめん、ちょっと変えた』って言いながら笑ってました、もう!笑。でも確かに普通の一般人からしたら、海外へ次の住処を探しに行く人なんてただの変人かもしれない(実は本気で海外へ何度も転職活動へ行って内定も幾つかもらってきてるんだけどね)。ステージの端から『思いっきりやって来い!』って言われて、またちょっとじーんと来た。やっぱり先輩は変わってないって思った。ほんとに嬉しかった。観に来てくれた人からは、ステージ上の私たちがかつて同じ時間を過ごしていた二人なんだな、っていうのがなんとなく感じられたそうです。先輩の写真はこっそり撮ったけど、一緒に写る事は出来なかったな。それもちょっと心残り。

他にもまだまだ書きたい事はあるけれど、詳細を書いているともっと長くなっちゃうので、この辺で。
翌日駅ビルのカフェで一人モーニングを食べたのだけれど、プロ野球クイズなるものがあって、勝手に先輩の個人情報で応募しておいた、当たります様に、笑。新幹線では泣きそうになりながらどうにか関東へ帰り着き、夜0時28分、偶然全く同じ時間にお礼のメールを送り合っていた。
神様、また先輩に会いたいです。だから、ごめんなさい、地球無くならないでください。
(12/09/26)

------------------
あっちはSuicaとかPASMOって使えるんだっけ?なんてtwitterで尋ねている辺り、すっかり浦島太郎だななんて思うのでした。
(12/09/21)

------------------
いつもこの時期に暖かい地域へ旅すると、帰国してみればいきなり冬になっているという記憶がある。
きっと来週はもっと秋らしくなっていますね。

あなどるなかれ、女心と秋の空。先輩にてるてる坊主を作るように言われていたので、作ってみた。大人になってから作ったのは初めてかもしれない。

(12/09/17)

------------------
夜は随分と涼しくなったなぁ。
先輩が呼んでくださった秋祭りは、500人集客を目指しているとの事。十何年前の最初のステージを思い出した。あの時も屋外だった。ピアノを弾きながら歌った。秋空は、夏の空より遠いんだ。

正直なところ私自身のやりたい音楽は…ライブでよくやる曲(特に地元のみんなが聞きたがってくれる曲)とはもうだいぶ違っている。場数を踏みたい年齢も、とうに終わっている。そんな私の内面が故ここ何年か、半分以上、出演のお話を断って来た。死ぬまでにあと何回ライブをするだろう。月に10本20本やっていた昔に比べ、今のペースだとそれなりに希少な機会ではあると思う。靭帯の事もあるしどうしようかと思っていた矢先、来月の武蔵小山のお話があった。実のところ 2 度ほどお断りしていた。この後の人生をどこで過ごすか考えあぐねる今日この頃、今回は引き受ける事にした。
おやすみ。
(12/09/13)

------------------
ショック。いつも助けてくれたロシアンなお隣さんが私より先に消えてしまう。哀しくてやる気喪失。何度も泣きそうになった。張本人はどうしてそんなに落ち着いて居られるの?やっぱりバックグラウンドと能力の成せる業か。
(12/09/11)

------------------
車生活が恋しい。もし台湾でスクーター生活をしたらこっちの電車生活が恋しくなり、その後どこかまた違う土地で暮らしたら、今度はスクーター生活が恋しくなるんだろうか。
最近また地元の友人何人かと連絡をとった。言葉にするのは難しいけれど、10年20年経っても繋がって居てくれる人達は、やっぱり希少だし、私の事をよく分かってくれていて、心の内を不用意に曝け出している自身に気がつく。彼等は私自身も分かっていなかった私をも、分かっていたりする。

ひとつ確かな事、私にとって距離というものはアジア圏内であれば然程意味をなさない。関東へ引っ越した年、何人かの人がはるばる新幹線に乗り、私なんかのライブへ駆け付けてくれた。私自身も、世界一周へ消えた人とトルコで落ち合おうとしていたり、何年か前も束の間の恋愛にのめり込んで何度も香港へ会いに行った。逆に言えば、自身がそんなだから、とりまく境遇や時間金銭的な事など乗り越えねばならない壁は在れど、距離をものともしない想い以外はてんで信じる事は出来ない。会いたければ会いに行く。そこまで達しない想いならば私にとっては偶像崇拝の域の様だ。

先輩から秋祭りの詳細連絡を頂きました。新聞の折り込みチラシにも載せて頂いたそうです。
(12/09/11)

------------------
ティーツリーにはまっています。アボリジニーの知恵に感謝感激です。
お酒で言えばアニス系のアブサン的存在だなぁ。

今週末は筋子が安かったので、ほぐしてイクラの醤油漬けなんかを作った。
(12/09/02)

------------------
先週、何かもう自分がどうしようもなく色んな意味で間違った所に居る気がして、気持ちが落ちていた。心が底辺に近くなったその翌日、偶然か、落ちた心がハンモックで救い上げられる様な、嬉しいメールが届いた。
中学高校の頃の剣道部の、大好きだった先輩から、秋祭りで歌わないかって言うお誘いだった。

中学の頃、剣道部で一つ上の先輩達の団結がすごくて、いつも憬れていた。自分の代になって、
同級生の部員達のうち半分は不良になってしまい一向にまとめる事が出来ず、ある日は窓ガラスが割られていたり、大事な大会の前日には体育館の鍵穴をボンドで固められて練習が出来なかったり、自分の無力さに打ちのめされる事も多かった。

高校に入り再び剣道部へ入った。先輩はそこでは唯一同じ中学出身だった。高校の剣道部は中学の剣道部より、少し何かが足りなかった。文武両道を声高に謳う進学校には、どこか現実とのギャップが生じていたのかもしれない。オルゴールを頂いた。卒業して先輩は静大、私は三重大へ行った。私は時折手紙を送った。そして、無地の便せんと封筒で、先輩らしいお手紙が届いた。心配になったり喜んだりした。

社会人になり、紆余曲折あって転職で関東へ。いつしか手紙というツール自体をあまり用いなくなった
。地元へ帰られて事業をしていらっしゃる事は知っていたけれど、ご自宅を存じ上げず、この際お仕事場へお手紙送っちゃおうかなって思っていた矢先、まるでテレパシーが通じたみたいに突如メールを頂いた。私の動画を見ましたって内容だった。

19年とか20年ぶりに、ずっと会いたいと思っていた人に会うって、どんな感じなんだろう。泣いちゃうかも。
(12/08/26)

------------------
無駄なところにエネルギー使う日々。
(12/08/07)

------------------
誕生日まであと2ヶ月。時間が足りない…。

今朝はまた夢をみた。先生のレッスンでなぜか私は日本語で歌っていた。そして最後の晩餐とばかりに、有り得ない光景、お惣菜やサンドイッチのパックを食べていた。無理に明るくふるまっている自分が居た。その後空を飛ぶリニアみたいな乗り物に乗って、トンネルに入る直前でぶつかった。乗客同士歩いてトンネルに入るものの、突然津波が襲って来て、みんなで抱き合って死のうとするも直前で誰かが頑張って入り口を登れば助かるかもとの声で、登って小さな公園へ辿り着く夢だった。(12/08/04)

------------------
決断をしなければ、自己実現は出来ない、確かに大きく飛躍するにはその思い切りがないと難しい。石橋を叩いてちゃ、歩幅で辿り着くすぐそこのたいして面白みのない岸辺にしか辿り着けない。ただし、決断をした場合、飛躍出来るか谷底へ落ちるかも、紙一重。(12/08/02)



←Textへ戻る
←Topへ戻る